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私は理想のキャリアの反面教師:和多田とキャリア(その2)

激動のアラサー時代 「会社辞めます!」

 

編集者としての仕事に行き詰まりを感じていた私は、途中で転職を考えた時期もありましたが至らず、表面上は会社での仕事も順調で、それなりの評価を得ていたと思います。

 

2000年を翌年に控えた年、私は30歳で出版社の同僚と結婚しました。

 

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そして翌年、特命職として社長直下の大きなプロジェクトのリーダーを任されたことが転機となります。

 

プロジェクトの詳細は省きますが、ちょうど新しい印刷技術が普及し始めていて、それを導入して通信教材のあり方を大きく変える、出版社としての大きなチャレンジでした。

 

編集職を離れるのも、部下を持つのも初めての経験です。

 

多くの関係者を巻き込み、新しい体制をゼロベースから描いていくプロジェクトの業務は、前例がなくまったくの手探りで困難なものでしたが、同時に新鮮さとやりがいに溢れていました。

 

そんな中、体調を崩していた母親がガンであること、それも治療の見込みのない末期ガンであることが判明したのです。高校卒業以来めったに実家に帰らない親不孝者でしたが、結婚もして、これからは親孝行しなければと思っていた矢先の痛恨の出来事でした。

 

しかし、遠く離れた田舎まで、プロジェクトを離れて頻繁に足を運ぶわけにはいきません。

 

母の容態を気にかけながらも仕事を優先する日々が続きましたが、残念ながらついにある日の業務中に母の死の連絡を受けることになりました。

 

しばらくは喪失感で仕事が手につきませんでしたが、このプロジェクトをやり遂げなければ母も浮かばれないという思いに駆られ、ある時を境に一心不乱に取り組み始めます。

 

そして半年後、プロジェクトチームの努力は経営会議への最終提案書として実を結び、私は役職者として職場に戻りました。

 

ところが、そうまでして打ち込んだプロジェクトの最終提案は、直属の上司にことごとく否定されることになり、その行き場を失うことになりました。

 

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それだけではありません。

 

あろうことか母の後を追って父親までもガンに倒れ、同じ年に亡くなってしまったのです。

 

 

今振り返っても冗談のように思える信じがたい状況であり、この時の私は、怒りと悲しみ失望と虚しさが入り混じった気持ちでおかしくなりそうでした。

 

そうした複雑な感情は、時間と共に1つの決意を生み出しました。

 

それは、「会社を辞める」という決意です。

退路を断って社会保険労務士を目指す

 

しかし、私が考えたのは、他の会社への転職ではなく、サラリーマンを辞めて独立する、ということでした。

 

私の中には以前から、組織人としてではなく自分の名前で仕事をしたい、世に出たいという漠然とした気持ちが芽生えていました。

 

また、前述のプロジェクトの件で、改めて組織の不合理さや理不尽さ、そしてそれを受け入れられない自分の性格を痛感しました。

 

さらには、両親の突然の死を目の当たりにして、

 

人間はいつ死ぬかわからない。だから後悔のない人生を送りたい

 

という気持ちが強まり、独立への決意が明確なものになったのです。

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しかし、前年に結婚したばかりの身で、何の展望も保証もなく会社を辞めることはできません。

 

そこで私は、いわゆる「サムライ業(士業」の資格を取って独立することを考えたのです。

 

(今から思えば、実に安易であぶなっかしい考え方です)

 

狙いをつけたのは、社会保険や年金、労務のエキスパートである『社会保険労務士』です。

 

それまで一切縁のない世界でしたが、両親の闘病を通じてその資格を知って興味を持ち、また難関ではあるががんばれば1回で合格も可能ということが魅力でした。

 

ただ、残業の多い編集の職場で、翌年の試験まで8ヶ月ほどしかないその時期から、1,000時間は必要と言われる勉強時間を捻出することはほぼ不可能でした。

 

そこで、私は決断します。

 

 

勉強を優先するため、残業の少ない他の部署への異動希望を申し出たのです。

 

 

具体的には、「ヒラの経理課員」への異動です。

 

経理課を選んだ理由の1つは比較的勉強時間が確保しやすい部署だということですが、それだけでなく、私は会計の知識と簿記資格を持っていたため、異動が認められる可能性は高いだろうと考えてのことです。

 

加えて、経理実務の経験は、独立して自分の事務所を運営するようになった時にも役立つだろうという計算もありました。

 

果たして、この自分勝手な異動希望は結果的に認められることとなりましたが、編集職から経理担当への異動も異例なら、役職を外れてあえて平社員として異動したこともまた異例でした。

 

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端的に言えば、私はこの異動で出世のラインを外れ、それによって退路を断ったのです。

 

 

こうして私は約10年間の編集者としてのキャリアを捨て、新米の経理課員として再スタートしました。

 

会計の基礎知識はあるとはいえ実務経験はゼロであり、会社では経理業務をイチから覚えながら、夜間・休日は知識ゼロの社会保険労務士試験の勉強に取り組むという、新しもの尽くしの二重生活です。

 

わかってはいましたが、過去のキャリアを捨てて新しい道へ進むことの大変さを思い知る毎日でした。

 

(決算期の経理課の忙しさも計算外でしたが…)

 

社会保険労務士試験合格までの詳細は別項に譲りますが、私は独立してやっていく能力を示すために「1発合格」を自分に課して猛勉強に励み、8ヶ月後の試験で無事合格を果たします。

 

それによってようやく退職への道が開けてきたのでした。

 

(「その3」にもう少しだけ続きます…)


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